カーシャの聖リタ(Saint Rita of Cascia) 1☆エンティティーシリーズ☆

カーシャの聖リタ(Saint Rita of Cascia)について 1

 

 
今回は若かりし頃のジョン・オブ・ゴッド(ジョアン)が初めてエンティティーの存在を認識する契機となったエンティティー『カーシャの聖リタ(Saint Rita of Cascia)』についてご紹介したいと思います。
※「Cascia」の発音についてですが「カッシア」あるいは「カッシャ」と書かれているものもありますが、イタリア語の発音通り「カーシャ」と表記したいと思います。


ジョン・オブ・ゴッドの生い立ちについてはこちらにも概略をまとめておりますが、補足説明します。

彼は1940年代前半にイタパチ(Itapaci)という街で生まれました。イタパチはゴイアス州(Estado de Goias)にあり、首都ブラジリア(Brasilia)の北東、直線で196キロの距離にあります(地図は下記の通りです)。六人兄弟の末っ子で四人の兄と一人の姉がいました(現在、兄は全員亡くなって、お姉さんだけジョン・オブ・ゴッドの住んでいる同じアナポリスの街に住んでいます)。



より大きな地図で itapaci  itapaci イタパチ を表示

彼の父親は服の仕立て屋をやっていましたが、収入は少なく貧しい暮らしでした。小学校には入りましたがわずか二年間しか通えず、いまでも読み書きはできません。井戸掘りや煉瓦作りなどの肉体労働を行いましたが、子供に出来る仕事はたかが知れています。

結局家族は暮らしていくことができず、イタパチの街ではもうどうにも仕事が見つからなかったのでジョアンは16歳の頃、職を求めてひとりイタパチの街を出て行かざるを得ませんでした。職を求めてと言ってもなにか当てがあってのことではありません。貧しくてどうにも立ちゆかず、16歳にもなったのでもう自分の食い扶持は自分で稼ぐしかないということです。ブラジルの首都がリオデジャネイロからブラジリアに遷都されたのは1960年ですが、1956年に始まった遷都開発政策は急ピッチで進められ、それによって発生した債務が国の財政が圧迫し、インフレが急激に広がった時期と重なります。

まだ16歳のジョアンが貰える仕事は結局、日雇いの肉体労働しかなく、食うや食わずのその日暮らしで街から街へと移り住む過酷な生活を続けました。イタパチからはどんどん離れていき、気がつけばカンポ・グランデ(Campo Grande)という街にいました。カンポ・グランデパラグアイ(Paraguay)と国境を接するマットグロッソ・ド・スル州(Estado de Mato Grosso do Sul)の州都です(場所は上記地図をドラッグして下の方を探してみてください)。イタパチから直線で815キロあります。

カンポ・グランデでもジョアンは仕事をみつけられず、疲れ果て、なにも食べていなかったのでフラフラになっていました。気がつけば街はずれの橋の下まで来ていたので、とりあえず川で沐浴して汗でも流そうと川岸に近づいていきました。

水際まで行くと美しい女性がジョアンを呼び止め、もっと近くに来るように手招きしました。そしてジョアンとこの女性はその日の午後、ずっと話をしながら楽しい時間を過ごしました。

翌朝、ジョアンはあの美しくて優しい女性のことが忘れられずまた同じ川のところに行ってみました。すると昨日その女性が座っていた場所にはひとすじの光があり、そこからジョアンの名前を呼ぶ彼女の声が聞こえてきました。

その後、ジョアンはその声の導きに従って行動し、ソロモン王のエンティティーに肉体を貸し、初めてミディアムとして役割を果たすことになるのですが、ここで出会ったこの女性がエンティティー『聖リタ』です。ところでジョアンが『聖リタ』と話をしたということは「ジョアンの人格」が「『聖リタ』というエンティティーの人格(霊格)」と話をしたということで、このときはまだエンティティーに肉体を貸してはいないといことです。

この邂逅は三次元の現実のことなのでしょうか。すべてはジョアンの頭の中で起こっていて、ジョアンは川岸で午後のあいだ中、一人で川岸に座り、ひとりごとをつぶやいていたのでしょうか。だれかがこの出会いの場所に紛れ込んだら『聖リタ』を見ることができたのでしょうか。川面の輝きが顔を照らし、笑顔で優しく話しかける『聖リタ』はジョアンにとってどれほど美しく映ったのでしょうか。興味は尽きません。



2へつづく

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