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カーシャの聖リタ(Saint Rita of Cascia) 2☆エンティティーシリーズ☆

カーシャの聖リタ(Saint Rita of Cascia) 2


それでは肉体を持っていた頃の『聖リタ』-『カーシャのリタ』(1381-1457)についてですが、彼女は虐待された妻や未亡人の「守護聖人」として有名です。また、逆境や窮地に立たされている人々から祈りの対象とされます。ジョアンとの出会いも彼が本当に人生のどん底にいたときでした。それは彼女の生き様によるのですが、それでは彼女の人生をたどってみましょう。
『聖リタ』は1381年にイタリアの中部に位置するロッカポレーナ(Roccaporena)という街で生まれました。俗名はマルゲリータ・ロッティ (Margherita Lotti 結婚後は Margherita Lotti Mancini)と言います。彼女の両親は貴族の身分であり、併せて慈善家としてよく知られていました。

 この時代にはよくあることだったのですがリタは12歳で貴族の「パオロ・マンチーニPaolo Mancini」という男性と結婚させられました。これは両親が進めた話でした。リタ自身は修道院に入り、修道女となりたいと以前からなんども両親にお願いしていたのですが聞き入れられませんでした。

 

リタは失意のどん底に落ちましたが、やがてこの結婚を神の試練として受け止めることにしました。リタの夫パオロ・マンチーニは裕福ですが怒りっぽく、不道徳な人間として知られていました。そしてこのカーシャの土地には敵がたくさんいました。

 

リタは結婚したその年に最初の子供を授かりました。夫はリタに対して暴言を吐き、身体的な虐待を繰り返し、また並行してよその女との不貞行為を重ねました。リタは長い年月、夫から受けるそうした行為を耐え忍び、そして神に祈り続けました。

 

リタが「謙遜」と「優しさ」と「忍耐」によって夫をよい人間に変えることが出来たというのは、よく知られている話です。さらに特筆すべきはその夫が『ラ・ベンデッタ(血の復讐 La Vendetta)』として知られている、長年にわたる氏族間における流血の確執を捨てた、ということです。

 

結局リタは「ジャンジャコモ(ジョバンニ)・アントニオGiangiacomo (Giovanni) Antonio」と「パウロ・マリアPaulo Maria」という二人の息子を産み、リタが深く帰依したキリスト教信仰に根ざした教育の元に育て上げました。

 

時が経ち、氏族間の確執がまた激しくなってきました。リタの夫はこの頃にはすっかり穏やかな人間になっていたのですが同盟を結んでいた氏族が裏切り、敵対関係にある氏族の一員である「グイード・チキGuido Chiqui」によって彼は無残に刺し殺されました。

 

リタの夫の兄弟である「ベルナルドBernardo」はリタの二人の息子を説得して父親の復讐させることで氏族間血の争いを続ける責任があると周囲から言われていました。

 

リタは夫の葬儀の場で公に夫を殺した「グイード・チキ」を赦しました。

 

 時が過ぎ、リタの息子の一人は16歳になっていました。叔父のベルナルドはリタの息子たちがリタと一緒にいるとリタの影響から抜け出せないと思い、息子たちをそそのかしてリタの家を出るように仕向けました。家を出てマンチーニ家の別荘と先祖代々の家に住むよう説得しました。

 

息子たちはリタから離れ、彼らの叔父のベルナルドが彼らの後見人になってから彼らの性格は変わり始めました。そしてリタの息子たちは父親の復讐を望むようになりました。リタは自分の息子たちがキリストの教えに背いて復讐を成し遂げることで魂を失うことを恐れました。リタは息子たちが復讐をしないように説得しましたが無駄でした。

 

しかし、彼女の息子たちは二人とも一年後に赤痢で亡くなりました。このことの解釈については「地獄によって罰せられる大罪を犯すよりは自然死によって神に召されたのだ」と敬虔なカトリック信者たちによって主張されています。

 

 夫と息子たちに先立たれ、リタはカーシャにあるセント・マリー・マグダラ修道院(the monastery of Saint Mary Magdalene)に入ることを希望しましたが、許可されませんでした。修道院では彼

女の性格の良さと信心深さは認めるものの、リタの夫が非業の死を遂げたというスキャンダルがあったので、修道女たちはリタと修道院で一緒にやっていくことを望まなかったからです。

しかし、リタは修道院に自分の思いを述べ、何度も懇願し続けたところ、修道院側から入るための条件を提示されました。それは難しい条件で、リタの所属する氏族と夫を殺した氏族を和解させること、そしてそれを皆が理解し納得する公の形で行うことでした。

 

リタは、3人の守護聖人(バプテスマのヨハネJohn the Baptist、ヒッポのアウグスチヌスAugustine of Hippo、トレンティーノのニコラスNicholas of Tolentino)に自分を助けてくれるように嘆願してから、この難題に取り組みました。

 

そしてとうとう彼女が36歳のときに二つの氏族間の確執を解決し、修道院に入ることを許可されました。

 

よく知られた宗教的な説話によるとこの時代、線ペストが猛威を振るい、ベルナルドも感染したので、彼の望みであるチキ氏族との反目を続けることはもはや出来なくなったということです。


※上の写真はカーシャにある聖リタの聖廟


3へつづく


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