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我妻さんブラジルへ(8) ブラジルの日系人編

我妻さんブラジルへ(8) ブラジルの日系人

そして2回目のセッション後の5月30日(金)現地時間午前10時半頃、また連絡が来ました。

そのセッションでは、日系で、30代の男性がたまたまそこにいて、日本語は片言だが通訳をやってくれた、とのことでした。そして我妻さん用に書かれたポルトガル語の処方箋を読み、それが「滝に行け」という内容であることを教えてくれた、とのことでした。

そして我妻さんから頂いた、この電話の主旨は、この日系人から「私が車を出すので滝に一緒にいきましょう」と言われたけれども、こういう人を信用して付いていって大丈夫なのか、ということでした。

実は我妻さんがカーサ行きを決めた当初、通訳を探して欲しいと頼まれ、いろいろ探しました。現地と日本をよく行き来する人たちにもメール等で話を持っていってみました。その中で「カーサにに来る日系人に頼めば良い」という話を何件か頂きました。日本の感覚だと、そんなことを見ず知らずの人に軽々しく頼めるものなのか、そういうことはただでやって貰うようなことではない、という考えがまず頭に浮かび、私自身も半信半疑でした。加えて私がカーサに行ったときは、他のアジア系の方はよく見かけましたが、日系人は少なかった、ということがありました。

しかし、その人たちの話をよくよく聞いてみると、どうも本当らしく、そこでそれを信じて、我妻さんには、ブラジルの日系人は横のつながりが強く、皆親切だと聞いています、というを話しました。ついでにその人たちは我妻さん自身が引き寄せている人たちだから大丈夫です、という話をしました。さらに我妻さんから、「信用するとしてもお金を払う必要があるのか」ということも聞かれ、これも「不要です」と答えました。

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のちに判ったことですが、この方は、現在、サンパウロ在住の赤峰(あかみね)さんといい、生まれの育ちもブラジルで、12年ほど前に4年ほど岐阜県に出稼ぎに行っていたことがある、とのことでした。そこで日本語を話せるようになったのですが、日本語の読み書きは出来ません。

赤峰さん


もちろん、我妻さんは滝になにごともなく行くことが出来ました。そして赤峰さんが本当に親切心でやってくれていたのが判り、「日本で培ってしまった人を疑う目」というのが恥ずかしくなった、とのことでした。

我妻さんによると、もともと引っ込み思案で、これまで自分自身が人に過剰に親切にするということがなかったということ、いままで初対面でなれなれしく話をする人で仲良くなった人がいなかったことでした。当初は話しかけられて、イヤだなという感じもあったそうですが、たどたどしい日本語でも、一生懸命通訳をしてくれたことに本当に感謝している、とのことでした。

その後、赤峰さんとは身の上話をして、メールアドレスを交換しました。そして赤峰さんは次のように言ってくれました。我妻さんが病気になった経緯をメールで送って欲しい、自分はあまり日本語はできないが、日本在住でポルトガル語ができるいとこがいるのでその人に翻訳をしてもらって読み、自分はまた来週カーサに来るのでその内容をカーサのスタッフに伝えてあげる、とのこと。

ところで今回勉強になったことの一つは「カーサにくる日系人にぜひ頼りましょう、話しかけてみましょう」ということです。

ワールドカップが開催されることで、ブラジルにおける治安の問題が最近しばしばマスメディアに採り上げられることがあり、その数字だけ見ると強盗の発生率が200倍だとか400倍だとかといわれております。殺人や強姦についても、日本の30倍以上です。それはそれで驚くべきことなのですが、そうした犯罪発生率ではみえてこないもっと大事な実情もあります。

それはやはり「人々が親切で相互扶助のマインドセットを持っている」ということでしょう。そうした人々の心の有り様というのは日本の昭和30年代・40年代に通じているように私はいつも現地に行くと感じていました。もちろん、日本の30年代・40年代というのは『三丁目の夕日』にみられるような「人々のあたたかなつながり」もありましたが、もちろん、それだけではありませんでした。現在の隣国のように役人の不正や賄賂、情実のからんだ人事などもごく普通にありましたし、ヤクザや暴力団もずいぶん幅をきかせていました。人のつながりが強くなるということと、自分たちに関係のある人間は利する、という考え方はとても馴染みやすく、たとえばイタリア社会のネポチズム(nepotism)-縁者びいき-などが頭に浮かびます。やはり「人情」と「情実」は双子の兄弟なのでしょう。

それとの関連で「家父長制」というべきか、顔が広く、太い関係性のネットワークを持っている男性たちが、その関係性の中、深い絆のある男性たちだけで、大きな仕事や物事進めていくようなあり方も「ブラジルのいま≒30、40年代の日本」の中にみることができます。

カーサでも言えることですが、カーサのスタッフがセッション時にどのように動いているのかを観察すると、運営の要になるのはやはり男性たちで、特に3000人近くが列ぶときは、こういった男性スタッフの息の合った連携によって、人を流していきます。彼らは皆、村の中に住み、家族ぐるみでつきあい、互いの家のへそくりがどこに隠してあるのかさえ判っているくらいです。人数もそうですが、セッションは生きものであり、トラブルも頻発します。おかしな願いを持ってきて、エンティティーに帰れ、と言われているのに帰らない人もいますし、エンティティーがジョン・オブ・ゴッドの中に2体入って、機能不全を起こしたこともあります。一日としてまったく同じセッションというものは無く、臨機応変に対応していかなければなりません。そうした阿吽の呼吸がなければ、セッションの手綱をとることできないということは容易に想像できます。もちろん、エンティティーの計らいのことも忘れてはなりませんが。そして難しいセッションの一日が終わったとき、彼らは固い握手を交わし、抱き合って喜びます。もちろん、そこに女性の姿はありません。

さらに社会背景についてみていけば、どちらも根っこにあるのは「貧困」です。30、40年代の日本の犯罪発生率-特に殺人や強姦などの凶悪犯罪の発生件数は現在の日本の2~3倍になっていたことも少し調べればわかることです。ここではこれ以上深く述べませんが、こうした社会背景、経済状況、環境が人々の心のありように、そして犯罪といわれるものの傾向にどのように反映するのかはとても興味深いテーマです。

また、日系人に限って言えば、ブラジルに渡ってからの歴史をひもとくと、コーヒー農園での過酷な待遇からはじまり第二次大戦にまつわる政府からの処遇(土地や財産の接収)等辛酸をなめ続けた沿革を記せば枚挙にいとまなく、そうした中、日系人が現地で横のつながりを強めていったことは容易に想像できます。

振り返って、そういった見ず知らずの人を信用し、失敗しないのかということを考えると「いまの日本」では、それはやはり難しいでしょう。われわれ自身も出会った人のちょっとした違和感(変な人という感じ)をデータベースとして蓄えていくことによって、自分の生命や財産を守ってきた、という歴史が有ります。それは人の心のありようが変わってきた歴史でもあります。

我妻さん自身も自分のお嬢さんを育てたときには、「知らない人に付いていってはいけません、口をきいてはいけません」と口を酸っぱくして言って聞かせたことでしょう。そしてそういう人を簡単に信用せず、見分ける能力を高めていくことが教育の現場では推奨されています。たとえば、メールやLineでその情報が信頼できるものなのかどうかを見極める情報リテラシーはとても大事である、とされます。

それもわかっていながら、「いまの日本」では無理でもカーサでは他の人に話しかける、あるいは話しかけられたら、オープンに話してみることお奨めします。そんなことを軽々しく言っていいのか、カーサに悪い人は来ないのか、ということはあるかと思います。しかし、今のブラジルの人々および日系人のマインドセットを信じて、あるいはスピリチュアルな観点からは自分が引き寄せている人は自分の学びのためということを思い出し、ご自身のスピリットを信じて、日伯(にちはく)交流にチャレンジしてみてください。

ちなみにブラジルのチョコレートやアイスの味は日本の昭和40年代の味に近い(残念な感じ)です。
※でも、我妻さんは「美味しい」と言ってました。
あっ、言ってしまった・・・。


つづく