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朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(6)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(6)

チャクラとは――エネルギーの搬入口として

チャクラとは何なのか――チャクラの働きを説明するということは人間活動の総体を説明することと言っても過言ではなく、その全体像を十全に説明するには紙幅がたりませんが、山下さんのそのときの状態を理解して頂くために、大まかなポイントだけを押さえるとするならば、まず、人の体とは物理的な体だけを指すのではない、ということが大前提になります。オーラと言われるエネルギーフィールドが人の周りにはあり、これが物理的な肉体を育てる母体・鋳型(マトリックス)のようなものです。そしてこのエネルギーフィールドのほうが肉体よりも先に存在します。

そしてチャクラはこのエネルギーフィールドから肉体へとエネルギーを取り入れているエネルギーの搬入口ようなものです。チャクラは回転しているといいましたが、回転してエネルギーを渦巻きのように体へ取り入れられています。竜巻の逆の動きをイメージしていただければと思います。チャクラが漏斗(じょうご)のような形をしているのはそのためです。

大きなチャクラは七つあり、それぞれが肉体の器官・臓器と対応しています。例えば第二チャクラの管轄しているのは生殖器、膀胱、精巣、卵巣。第三チャクラであれば胃・肝臓・腎臓といったぐあいです。

チャクラによって人とつながる

そしてもう一つ大きな機能として「人とつながる」ということがあります。視ることに長けたエネルギーワーカーの目には人から人へとチャクラ同士がつながるエネルギーコードがあることがわかります。それは双方向のエネルギーの流れで、エネルギーを送り出したり、受け取ったりということをやっています。ちょうど半透明で柔らかいイソギンチャクの触手のようなもので、それが伸びてきてチャクラからチャクラへとつながります。これは健康な人間同士の間では普通のことです。物理的な距離が離れれば切れるというものではありません。

もちろん、当事者同士の関係性によってつながるチャクラの場所や意味も違ってきます。一時的につながることもありますし、心の絆と呼ばれるような永続的で深いつながりを形成することもあります。親子特有のコードもあります。

やはり一番つながったり、切れたりを繰り返すのは第三チャクラ(胃)で、一般に「関係性のチャクラ」と呼ばれますが、通常の人間関係において相手と自分という組み合わせを思いやり、気遣うことに関係しています。そしてこれがうまく機能していないと胃に障害がでることは、我々もよく経験することです。性的な関係は第二チャクラ(仙骨のあたり)でコードがつながりますし、第四チャクラ(ハート)は愛すること、様々な形の愛情(親子、パートナー、家族、動物等)によってつながります。

それぞれはその親しさや関係の深さの度合いによって、繋がったり、切れたり、あるいは無理矢理引きちぎられることもあります。

チャクラが閉じるということの意味

そしてチャクラが閉じていったということの意味は、閉じたその時点から人と繋がれないという事の他に、これまでの関係性が消えていくということでもあります。

信じられるかどうか解りませんが、おそらく山下さんのご両親は自分の息子がなぜか自分の子供でないような感覚が出てきて、一馬さんをどう扱っていいのかわからなくなったでしょうし、ご兄弟もなぜかいままで通り接することが出来なくなったことと思います。

それまでの友人たちもなぜか彼が見知らぬ他人のように思えてきて、一馬さんと疎遠になっていったことは容易に想像できます。過去の記憶はあっても、前のような親密な感情(会って、顔を見て、話がしたい、というような)を抱けなくなったことと推量します。「心が通う」ことがなくなった、と言い換えてもよいと思います。「思い思われる」というごく当たり前の関係が、消滅してしまうということは、その人が死んで目の前からいなくなることよりも恐ろしいことのように私には思えます。

眠りとは

眠りのこともチャクラが閉じてしまったことが判ったいま、私には容易に想像できました。スピリチュアルな観点から人は眠るとき段階的に眠りに入ります。眠りの最初はアストラルレベルに入るわけですが、これはハートチャクラの次元になり、ここにはメンタル体とエモーショナル体があるといわれています。この中も階層があるといわれておりますが、長くなりますので割愛します。

そして眠るとは他の体のレベルでエネルギーのチャージを受けるということです。「眠り」における多次元への移行は順番に行われ、最初はアストラルレベルです。当然、最初のハートチャクラが閉じてしまうということはアストラルレベルはもちろん、その他のすべてのレベルへの入り口も閉ざされたしまうということです。そして肉体のレベルでだけで生きることを強いられるということです。それ故、寝ても肉体は休めていることになるのでしょうが、いままで知っていた眠りと違っていると感じるのは当然のことのように思います。つまり「寝ても眠りが拡がっていかない」とは寝ている間に肉体を離れることができない、他の体で享受できる恩恵をまったく受けることができない、ということでしょう。

違和感について

9月のツアーメンバーの一人にとても霊感の強い女性がいたのですが、山下さんが到着したその日、その人は私に「山下さんのそばに、わたし、どうしても近づくことが出来ないんです。なぜかは判らないんですが、怖いんです」と、こっそり告げてきました。私は反射的に、 良いかたですよ、話をしてみれば判りますよ、というようなことを言ったように思うのですが、その人に対しても自分の心に対しても、わざと論点をずらして話しているような、あざといことをしているような気分になっていました。

いま思えば、私自身も山下さんと初めて電話で話したときの底知れぬ違和感は説明が難しいように思います。私は先に音響変換された音声と表現したのですが、その声を――「人ではない人」と話しているような、背筋を冷たい指でなぞられているような感覚を、必死で携帯電話の電波状態のせいと思い込もうとしていたことを思い出しました。

周りに人が居ても人が居ない状態――人が自分に近づいてこないということ、そしてそこに手を伸ばせば人は居るのに、声を掛けても人は決して振り向かないということ、そして眠りのレベルでも肉体から抜け出すことはできないということ――それは孤独な牢獄でしょうし、生き地獄でもあるでしょう。

ただ、救いはありました。愛の周波数をのせてメインホールに響く主の祈りは、さっき私が見たもう一つの場面を思い起こさせていました。

山下さんのチャクラは、そのほとんどが閉じていました。しかし、視線を上にあげると頭頂部にはクラウンチャクラが大きくはないけれども、開いて、わずかに動いているのを視ることができたのを思い出しました。 クラウンチャクラは創造性や直感を司り、目に見えない世界や神とのつながりを感じ取ることを可能とするものです。

それが山下さんをここカーザに導いたのだ、と私は思い、エンティティーへの感謝の念が沸き上がってきたのを覚えています。山下さんはもう「ここ」にいます――そう思ったとたんにまた涙がでてきました。

うす暗い部屋にぼんやりと浮かぶ山下さんの小さなクラウンチャクラは、泥の沼に咲いた一輪の朝顔のようでした。

(7)へつづく