狼のララバイ――ある憑依(ひょうい)の物語 その二

尋常ならざる依頼

三夜子さんとのセッションにおいては三夜子さんとヨハンくんの「親子コードの問題」もはっきり判ってきましたが、テーマを絞るために割愛します。

三夜子さんはセッションを終えると自分の感想もそこそこに、ヨハンくんのことを話し出しました。
ヨハンくんが生まれた当初は父親と3人でハンブルグに暮らしていたが、ヨハンくんが二歳の時、ご主人とは別れて日本に戻ったこと。ずっと母子家庭で職を転々としながら、ヨハンくんを育てたこと。ヨハンくんが8歳の時、父親が日本に来て、1年くらいの短い期間、一緒に暮らしたこと。父親は日本で就職して、ヨハンくんは一緒に暮らした1年間の後も父親と時々会っていたこと。子供の頃、日本語の発音がおかしいと思ったので調べて貰ったところ、西欧人と日本人の口の中の構造が違っているので仕方がない、と医師に言われたこと等々。

しかし、なにより気になったのは、ときどき見えないだれかと話しているのでは、思うときがある、という話でした。

それから、三夜子さんは携帯を取り出し、ヨハンくんに「終わったよ」と伝えました。ヨハンくんはまだ外にいたようでした。三夜子さんは二人分の支払いを済ませると、ヒーリングの件はうまく伝える、といいました。カードキーは三夜子さんに持っていってもらって、部屋で待ちました。

ヨハンくんは部屋に入ってくるとすぐに窓際に行って「カーテンを開けて良いですか」、「バルコニーに出ても良いですか」というので「どうぞ」というと、バルコニーでしばらく楽しげに外を眺めていました。

ヨハンくんとは改めて向き合って話を聞き始めました。本当に端正な顔立ちをしていて、ときどきなにか気持ちの間合いをとるかのような少しまぶしげな目をしました。 アニメが好きだとのことでちょっと話を振るとまったく知らない深夜アニメのタイトルが出てきて、なにか時代を感じました。

それからヨハンくんは自分の家族の複雑な関係性をお母さんより上手に説明してくれました。これについても割愛します。


それはそうと、ヨハンくんが入ってきてから、なにか部屋の中で音がしていることに気付きました。


きしみのようだったり、ちいさな物がぶつかるような――カチ、コツ――という音です。三夜子さんへのヒーリング中には静寂を邪魔するものはなにもなかったように記憶しています。隣の部屋からの音でもないようです。これは何だろうと思っていました。

ヒーリングのことは三夜子さんからさっき聞いたようだったので、お試しでヨハンくんに両の手のひらを上に向けて出して貰い、エネルギーを当てて分かるかどうかを確認しました。これについては「はっきり分かる」とのこと。はっきり分かる人というのはとてもエネルギーに敏感ということですが、黒いオーラを持つ人はまず間違いなくエネルギーをまったく感じません。このことは不思議でした。

ケモノに出会う

さっそく行うことにしました。ヨハンくんにベッドの片側に寄って仰向けに横になってもらいました。

私のヒーリングは最初に心の中で、高次の存在たちに祈りを捧げることから始まります(※これは私が現在提供しているマルコニクスヒーリングではありません)。そして場がクリアになることを求めます。ただ、なぜか今回は祈りの最中から、強い波のようなエネルギーがやってくるのが分かりました。最初から頭がボーッとしてきます。

ヒーリングは肉体には触れずに行います。最初に頭頂部から始めて、体の周りで手を動かし、エネルギーの反応を見ていきます。ヨハンくんの場合、どこもかしこも渦のような強い流れが起き、どこに何が必要なのか、分かりません。

ヨハンくんは「よくわかります、感じます」と言っています。

始めてほんのわずかの時間しか経っていないように思います。異変は私の方にやってきました。

繊細でひときわ強いエネルギーが波のようにやってきて、グワングワンと体の表面が波打っています。意識がなくなりそうになっていました。

誰かが私の手を動かしている――そんな感覚がありました。
「霊的手術を始めます」――そう、自分の口はきっぱりと宣言していました。
ヨハンくんの胸に自分の右手、お腹に左手を置いています。それは私のこれまでのヒーリングではなくなっていました。自分ではそんなことをするつもりなどまったくありません。でも手はヨハンくんの体にしっかりと固定されています。頭の中にはドン・イナーシオ・デ・ロヨラの顔がずっと浮かんでいます。

もう成り行きに任せるしかありませんでした。

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手に感覚はあるのですが、自分では動かせず、1本1本の指の中を柔軟な細い光のワイヤーがたくさん動いているような感じがしていました。肩の辺りから腕、指の先まで空洞になっていて、その中をなにかが自由に動いているような感じでした。頭は前にも増して痺れたようになっていて、ほとんど目を開けていられませんでした。たまに薄目が知らずに開いて、ヨハンくんの体幹の中から細いたくさんの光が放射し、光ファイバーのインテリアのように動いているのがわかりました。

またちょっと時間がたったような気がしました。エネルギーの波は相変わらず、勢いよくやってきます。手の下のヨハンくんが動きはじめました。なにか小さなうなり声のようなものが聞こえ、獣のようなニオイが鼻をつきます。

するとヨハンくんが手の下で暴れ始めました。慌てて手をはずそうとしましたが、手は体から離れようとしません。

ヨハンくんがうなり声を上げていました。人の声ではありません。だんだん大きくなっていきます。

手首をつかまれました。最初に右手。次に左手。つかまれるというよりも爪で捉えられる、といった方が正しいかも知れません。ぎーっとすごい力で握られ、爪が食い込んできます。すごい痛みですが、ヨハンくんの体に貼り付けた私の手は離れません。そしてこのときは自分でも「この手は離してはならない」という思いがありました。

今度は手の甲をガリガリとされています。ヨハンくんはさっきまでのヨハンくんではなく、なにか別の生きものです。とても苦しげです。うなり声は咆哮となり、防音のしっかりしたホテルですが、隣に聞こえるほどです。

頭の中にクリアなイメージが湧いていました。奥の方に白い狐のようなものが4、5頭。手前に黒い犬のようなもの。黒い犬は追い詰められて凶暴になっているような、でもどこか悲しげな感じ――。白い狐は黒い犬を迎えに来たのでしょうか。首を回して黒い犬を待っているような感じです。

ヨハンくんが渾身の力で側転し、手が離れました。ダブルベッドの反対側に行ってしまい、もう手は届きません。エネルギーの波も途絶えたような気がしました。

そこでヒーリングは終わらざるを得ませんでした。

 

その三へ続く

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