エンティティーの愛の形――「思えば思わるる」ということ(1)

エンティティーの愛の形――「思えば思わるる」ということ(1)

はじめに

今年11月に実施したカーサツアーでは、エンティティーから「カーサに来ることが望ましい」といわれた方々をお連れしました。今年6月に写真を提出した方々です。今回はその中のお一人にお話を聞くことができましたのでご本人の承諾を得て、まとめさせて頂きました。

カーサへ行こうと思われた理由はもちろんエンティティーから呼ばれたということが一番ですが、願い事は御自身の霊性の向上と内面の問題を解決したいということがありました。30代の女性の方で、子供の頃から霊感があり、その能力を活かしてカウンセリング・アドバイスをすることをお仕事にされている方です。

インタビューの形でお伺いしましたので、ご本人の一人称形式になっております。氏名は下のお名前だけ使わせて頂きました。「実咲さん」と言います。そしてそれに併せて当方にとってそれがどう見えていたのかということを「ガイドのまなざし」ということで差し挟み、立体的にご理解頂けるように構成してみました。

以下がインタビューの概要です。

………………………………………………………………………………………

カーサの印象――行く前の印象

カーサに行く前のイメージは聖地という感じで、そもそも「目に見えない手術」というのがイメージが湧きませんでした。それが何を意味して、どういう状態でどんな風になるのかがまったく想像もつかなかったので、これは体感してみないとわからないな、という感じでした。

行ってからのこと――自分の能力がオフにされた

行ってみてからのことですが、私はアバジャーニア村に着いてすぐ普段の自分使っている能力が使えないことに気がつきました。そうした能力が私自身が受けるヒーリングを邪魔しないようにエンティティーによってoffにされたのかな、と思いました。そういったわけでカーサの敷地に入ったときもすごいパワーを感じるというようなことは一切なくて、自分の能力が一切無くなったな、という感覚のほうが強くて、押さえ込まれたのか、邪魔だからoffにされたのかとか色々考えました。

ただ、宿にちょうど着いたときには人らしきものが立っているのが見えました。後から思い出してみるとニコニコして立っていたのでエンティティーのジョゼ・バルデヴィーノに似ているように思いました。その程度の「見る」能力は使えたように思いますが、普段はもっと深いところで感じる能力を使っているのですが、そちらのサイキック的な能力はほとんど使えないような感じでした。使おうとも思わなかったし、その時点からコントロールされていたというべきかも知れません。村のメインストリートにタクシーで入ったときからエンティティーの管理下に置かれているのだろうなという感覚はありましたので。

どこからがカーサなのか

カーサの敷地――あの青と白の壁からがカーサだという区切りが私にはあまり無いような気がします。村一つ全部がカーサの敷地内のように感じます。象徴的にあのカーサという場所があるだけでどこへ行ってもエンティティーの接触はあるように思います。

最初のエネルギー的な感覚

最初はなにも感じなくて水曜日にメインホールで倒れるまでは一切何かを感じるということはありませんでした。

人がたくさんいてとても混み合っていました。私はメンバーと一緒に立っていたのですが、その間に如雨露(じょうろ)で水を掛けるようなイメージで「もう頑張らなくていいよ」、「もう大丈夫だよ」、「よく来たね」というエネルギーがチョロチョロとちょっとずつ私の中に入ってきました。

それがすごく心地よくて、もうがんばらなくていいんだ、とか、よくきたね、と言ってもらえてよかった、とかそういう安心感に包まれて、それと同時に自然に涙が出ていました。メインホールに入って3分ぐらいで始まったことです。自分の中にため込んでいたなにかを解放するかのようなエネルギーが入ってきて、穏やかに泣いていました。一緒に立っていた主人が「涙拭いたら」とか言っていたのですが、「このまま気持ち良いから泣いている」と言って、主人に寄りかかっていました。

ガイドのまなざし

最初に成田空港でお目に掛かったときの実咲さんは、クラウンチャクラだけが大きく開いていてベースチャクラがあまり動いていないように拝見いたしました。これはツアー前の電話相談会で感じた印象と同じでした。私のクライアント様にもおられるのですが、生まれ持った霊能力を伸ばすことだけをやってきて、それはそれで開花し、他の人にはその能力を活かしてアドバイスをするのですが御自身の内面に深刻な不安や恐れを感じている状態になっている方です。

チャクラを考察する上で大事なのはバランスです。
クラウンチャクラいうのはハイアーセルフや神への意識とのつながりに関わるセンターで、通常は大きく開いて、且つ他のチャクラとのバランスが取れていれば、生命・宇宙との一体感、自分の望みは全て叶うというような安心感・神への絶対的な信頼という感覚にあふれていると思います。さらにそれを開発していけば、五感を越えてアストラル界・霊的な世界に入って情報を得たり、霊視・遠隔視ということも可能かと思います。

ただ、クラウンチャクラだけが過剰に大きく開いてしまうと当然、対比・割合として他のチャクラが小さくなるという状況になります。そうすると他のチャクラが動いていないのと同じ症状・感覚が出てくるということです。併せて下方のチャクラが司る生活基盤、近い将来のこと、人間関係というような基礎的な欲求に関わることが自分で把握できなくなり、とても日常的に心配の多い心の状態となります。 逆に言えば、ほとんど動いていないチャクラや閉じているようなチャクラは当然問題を抱えている状態と言えますが、低いレベルでもそれぞれのチャクラが均等の大きさで動いている方が感情的な乱れはなく、あまり楽しい日常ではないかも知れませんが不安や恐れは少ないと思います。

おそらくご当人もチャクラのバランスということを考えたことがなく、霊的な能力をひたすら伸ばすことは間違いなく自分にとって良いことだと思って、独自の考えでこれまでやってこられたのではないかというのが当方の見立てでした。当方の心配はこうした日本に多い巫女型の霊能者は、クラウンチャクラの閉じ方を知らずに苦しい日常を繰り返したり、胃のチャクラの使いすぎで40代くらいで若くして亡くなる方が多いという事実です。特に女性に多いと存じます。

ではバランスを取るためにはどうしたら良いかというとクラウンチャクラを意識的に閉じることをおぼえる必要があります。もちろん、現在のクラウンチャクラに合わせて他のチャクラを大きくするということも理屈では考えられますが、それはこの現世で機能するという意味ではもはや「人間とは言えない」ので現実的ではないと思います。

チャクラのことのみに関しては私が現状をお伝えしても良いのですが、実咲さんがこのツアーに参加したのは必然ですし、エンティティーが実咲さんの全体性を取り戻すためにどのような対処をするのかをだまって見守りたいと思いました。

  


(2)へつづく