朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(3)
手の届かないかゆみ
病院で脳のMRIを撮ってもらいましたが「脳には何の問題もない」ということでした。もちろん問題は現実にありますが、器質的な観点から病変を見つけることはできない、ということでしょう。
こうした話はこれまでの何回かの電話相談等のお話しの中で出てきたものですが色々聞いてもなお、私自身それを素直に全部受け入れられるかというと、そうではありませんでした。身体の変調が現れるくだりは、起こっていることの不気味さも伴って四谷怪談でも聞いているような気にさえなってきます。もちろん、山下さんが嘘を言っているとは思っていません。とつとつとした話し方ではありましたが、自分の言葉で何が起こったのか語る口調は経験した人にしかわからないリアリティーがありました。
私がそういうことを知らない、というだけかも知れないので、自分でも調べてみました。しかし、美容外科のサイトでへその手術(へそヘルニア、その他どのようなタイプのへその手術でも)のリスクに言及しているところはありません。もちろん、美容外科がわざわざリスクを書くとも思えませんので、私自身が医療関係者に当たってみても、手術に係る一般的な感染症や傷跡が目立つ・思った形にならない等はありますが、やはり山下さんの症状に該当するような事例は見つけられませんでした。腹部のたるみ除去で「へそを失い」、美容外科を訴えた女性の事例は見つけましたが、それは見た目が問題で訴訟になったというだけでした。
もちろん、中国医学では、へそは生命の源とされ、また経絡(けいらく)では神闕穴(しんけつけつ)と呼ばれる重要なツボです。へそへの刺激は末梢神経への刺激となり、神経が活動状態に入るとされます。またツボの効果としては体液の調整、免疫機能を促進すると言われております。では逆の言い方をすれば、へそに問題が起これば、生命の本源が揺るがされる、ということになるのでしょうか。
しかし、それにしても、私が聞いたものはあまりに極端な症状のように思えました。もし腹膜の糸が切れたことが原因だとしても、それから「左脳が回転した」という感覚とそれに伴う呼吸・睡眠等の症状がでるまでは5年もかかっています。そもそもこれらの症状とへその手術は因果関係があるのか、別の病気の症状を取り違えているのでは、という根本的な疑問が私の中に沸き上がってきました。このことを山下さんに尋ねることは互いの困惑を深めるだけのように思えました。
そしてしばらくこのことは手の届かない場所に湧くかゆみのように私の中にずっと留まり続けることになるのでした。
(4)へつづく