朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(5)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(5)

お部屋にて

山下さんはポウザアダに着いてから、お疲れなのか寝てばかりいました。食事時刻になっても現れないことがたびたびで、私が起こしに行くような状況でした(夕食も昼食も1時間しかないので、それを逃すと食べ損なうからです)。

次の日、山下さんのお部屋に行って、そこでお話しする機会がありました。山下さんは私たちが村を離れる日よりさらに二週間長く滞在する予定(最初からその予定でした)なので、その打ち合わせのためです。

その日は水曜日でセッションはもう始まっていましたので、夕食前、夕方くらいだったと思います。山下さんはやはりお休みなっていました。夕飯も近いので申し訳ないですが、起きて貰って話をすることにしました。

カーテンで陽射しを遮り、部屋は薄暗かったように思います。私は時差ぼけが治りかけていた頃でしょうか、ちょうど暑い外から涼しい部屋に入って眠くなったこともあり、山下さんと面と向かってお話ししているうちに、変性意識の状態になっていました。エネルギーの強いアバジャーニア村ではよくあることです。すると山下さんの体の前面に「なにか」が見えてきました。

前面とはいうものの、肉体の内側に視えました。荒縄の堅い結び目のようなものが喉のあたりにひとつ。次に胸のあたりにもうひとつ。さらにその下にも――。体の中央に縦に列んでいるように視えます。黒い塊で動いていません。これはチャクラなのでしょうか――動揺しました。

チャクラは通常、健康な人であれば、体の前面と背面に、円錐の漏斗(じょうご)のように突出して開いています。そして人によって速度はまちまちですが時計回りに回転しています。しかし、いま目の前にあるのは、たどんのように黒ずんでしぼんでおり、回転はしていません。私はいままでこうした状態の人に会ったことがありません。例えば当人に何か心に傷を負うような事件があって、自ら閉じているハートのチャクラは見たことがあります。それは閉じているとは言え、自ら閉じたことが判るので自然に見えます。これはそれとは違って、バーナーの火であぶられたプラスチックのような感じです。

そしてその見た目以上になにかが違っている、という感覚――裏焼きした写真を見せられているような違和感を感じました。

その後は心がひどくぐらついて、会話に集中できませんでした。

祈りの会

夕食も終わり、夕方7時からカーザのメインホールで行われる「祈りの会」に、私は一人で参加したのを憶えています。ポルトガル語のカーザの祈りの会は毎日行われ、誰でも参加できます。

その日はあまり人はいませんでしたが、後ろの方の席に座りました。

山下さんの部屋で視たもののことが頭から離れません。

ポルトガル語の「主の祈り」が唱えられはじめました。年配の女性が一人で唱える主の祈りはいままで聞いたことがない独特の節回しで、リズミカルに聞こえました。心を静めたく、そのハスキーな声に委ねようと思いました。その主の祈りは寄せ返す波の音を声にしたかのように心地よく、目を閉じてその声に包まれていると、やがて山下さんとこれまで話してきたことすべてが自分の中で繋がっていきました。

山下さんが「ひとり狭い牢獄に閉じ込められている」というイメージが浮かびました。なぜか涙が流れていました。

私は「へその手術」が実際にどのように行われたのかは分かりません。二回の手術が山下さんの肉体をその時点でどのように変えたのかを知る術がありません。しかし、その手術が山下さんの「他の次元の体」に働きかけたことは確かだと思いました。そして時間を掛けて山下さんのチャクラを「結果として閉じていった」ことを確信しました。

山下さんはのちに語りました――「こうなって一番辛かったことは、体のことではなく、人との関係が築けなくなったことです。なにをするにしても、『人とのきっかけ』が無くなってしまったように感じました」

(6)へつづく