我妻さんブラジルへ(1) ことの始まり編
しばらく現地レポートの更新を怠っており、申し訳なく思っておりました。記事にはしていませんでしたが、竹田さんのサポート後も、カーサに単身赴かれる方々のサポートをずっとさせて頂いておりました。今回はその中でも、どうしてもお伝えしたい方の記事をまとめさせていただきました。十数回にわたり更新する所存です。ぜひ最後までお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
我妻 清一(あがつま せいいち)さん〔本名-ご本人の許可を頂いております〕から連絡があったのは今年(2014年)の4月22日でした。
その日の昼頃、お電話を頂き、「ぜひ今日中に対面で『リコネクティブヒーリング』を受けたい」とのことでした。ときどきそのようにおっしゃるクライアント様はおられます。事情はもちろん人それぞれですが、得てしてのっぴきならない場合が多く、可能な限り、その流れを大事にするようにしています。
我妻さんは仙台市内でエクステリアやお庭のデザイン・設計・施工・リフォーム等を行っている『有限会社ライフ建装』の社長さんであり、経験豊かなデザイナーでもあります。そして今年5月に47歳になったばかりです。
電話で少しだけ話し、ご病気とは伺っていたのですが、はじめてお目にかかった我妻さんは、オーラも大きく、しっかりとしていて、本当にお元気そうでとてもご病身とは思えませんでした。
しかし、後々ご当人からお伺いすることになる、それまでの病と共にあった状況・病歴はすさまじいものでした。以下に簡単にまとめておきます。
ご 病 歴
2011年7月に出張先の現場から戻った後、今まで感じたことが無いようなだるさ・倦怠感がありました。しかし、震災特需ということもあり、仕事はやすめませんでした。そのうちひどい下痢になりました。近所の病院で診てもらい整腸剤を処方されましたが下痢は一向に治りませんでした。
東北における手術数ランキングを誇る某大病院に行き、潜血検査をしたところ、大腸ガンと診断されました。横行結腸に小さなガンが1つ、S状結腸に5センチほどの大きなガンがみつかりました。横行結腸のガンは内視鏡を利用して切除しました。S状結腸についてはその年の9月下旬に開腹手術を行い患部を切除しました。併せてガンの転移・進行具合を調べるために大腸のリンパ節30箇所を切除し、その内、8箇所に転移が発見されました。自動的にガンの進行具合は「ステージIIIB」と診断されました。入院は3週間でした。
それからガン転移の予防的意味合いで、11月から2週おきに12クール(半年間)の間、フォルフォックス(FOLFOX)という3剤併用の化学療法を行いました。投与は右胸上部のポート(埋め込み型リザーバー)より行い、通院という形をとりました。
その後、2012年9月にCT検査を行ったところに肝臓への遠隔転移が認められました。ガンの進行具合は「ステージIV※」となりました。また手術を行い、患部の摘出を行いました。前回、抗ガン剤治療のひどい苦しさ、生活の質の低下を経験し、また、自分自身には関してはその効果が認められないことを実感していた我妻さんですが、それでも主治医からの勧めで、その後、一度だけ抗がん剤を試したところ、強いアレルギー反応がでて呼吸困難を起こしました。自分の肉体がそれを拒絶していることがはっきりと解った我妻さんは、現在主流の抗がん剤治療はやめることを決意します。
※原発巣以外に多臓器、骨、脳などへの遠隔転移が認められた場合。なお、ガンの進行を示すステージはIVまでです。
しかし、現代医療にすがる気持ちも多少あり、主治医がいうには、昔ながらの「経口投与の抗ガン剤」というものがあり、これはほとんど副作用も無いはずだし、予防的な意味あいでもやったほうが良い、という話を受け、それを選択しました(しかし、これも後に我妻さんには何の効果もないことがわかります)。
そして次の年2013年5月に行ったCT検査で肝臓ガンが再発していることがわかり、再手術となりました。今回の術後は回復がおそく、癒着もひどく、入院は2ヶ月半に及びました。その状態では本来、ドレーンが抜けてからの退院という形が一般的なのですが、食事を含め入院生活に嫌気のさしていた我妻さんは、創傷処置を自分でやることにし、病院の了解を取り付けて退院しました。
手術の傷はなかなか治らず、お仕事もしつつ、腹帯を巻いて、ご自身で1日朝晩2回、肝臓のあたりに力んで圧力を加えることで膿を絞り出し、ドレーンを消毒し、膿のついたガーゼを取り替えます。二日に一度は病院に行ってドレーンを洗浄し、ドレーンのチューブの太さを調整します。そうした日々が2ヶ月続きました。
そしてその年の9月に行ったCT検査では、今度は肺への遠隔転移が発見されました。肺の手術は12月に行われました。このときは「胸腔鏡下肺切除術(きょうくうきょうかはいせつじょじゅつ)」という術式が採用されました。これは全身麻酔で胸に直径2~3センチの穴を3箇所開け、胸腔鏡という肺の中をみる鏡を使って行われるものです。
そして今年2014年に入り、4月に行ったCT検査ではまたしても肝臓にガンが発見されました。今度のガンは中央にこぶし大の大きなかたまり、そして周辺部にもいくつかあり、主治医からは、これら複数の病巣を一度に切除した場合、肝臓が自己再生しない可能性が高く、外科手術はできない、と言われました。抗ガン剤での治療をすすめられましたが我妻さんは断りました。主治医の話では「抗ガン剤治療を行えば、来年の桜は見ることができかもしれない、なにもしなければ、今年いっぱいもたないかもしれない」とのことでした。
我妻さんとはヒーリングの前と後で45分ほど話をしました。ヒーリングを受けるのはこれが初めてとのこと。ジョン・オブ・ゴッドのことや当方が今年の9月に開催するカーサツアーについてもご存じのようでしたが、それは世間話程度でおしまいになったように記憶しています。
当日のヒーリングについてですが、最初から両手が痛くなるほどのエネルギーが流れ始め、私は途中、意識がブラックアウトしてしまいそうになっていました。普段は手のひらにエネルギーの強弱や触感(温かい・冷たい・硬い・弾力がある等)を感じながら、エネルギーとインタラクティブな対話のようなものを行うのですが、今回はいきなりダムが決壊したかのような激しさで、触感もへったくれもありません。ビリビリ、ギリギリと手が痛みます。時々は指先がキリで刺されるような痛みも感じます。頭も額を中心にヘッドロックを掛けられたかのようです。これはなんだ、という思いしかありません。どの位の時間が経ったのか、気がつくと、いつもの倍以上の時間が過ぎていました。しかし、一瞬のことのように感じられ、そしていま、もうこのヒーリングを終えざるを得ないことが残念でなりませんでした。
我妻さんとそのあと話をしていて、私としては、もう何回かヒーリングを行えたらよいな、と、エネルギーでボーッとしている頭でちょっと思いましたが「ヒーリングがあなたにはあと何回必要です」というようなことは、ヒーリングのプロセスを尊重する意味で、たいがいは言わないことにしており、また、施術後、当方の言葉のかけ方に間違いもあって、時間がなくなってしまい、その日は、前述のご病気のことなどを含めて、ほとんどなにも聞かずに終わってしまったように記憶しています。
ただ、ヒーリングにおいては、まず、自分が後ろに引き下がり、クライアント様が全体性を取り戻す方程式の一部になること、主導権を手放すことをいつも心掛けており、そのことでエネルギーが働く余地がより広がることを私はよくわかっていたので、これでいいのだ、とそのときは自分のエゴをなだめていたような気がします。
しかし、私のエゴの抵抗のことなど歯牙にも掛けず、たくさんの人々とその思いを巻き込んだ巨大な方程式が、すでに動き始めていたのでした。
つづく