新型コロナウィルスに係るエンチダージよりの緊急メッセージII

いまブラジルCASAにおります(o^^o)。

時差ボケが治ってません(´+ω+`)。

ですが、エンチダージから新型コロナウィルスに係るメッセージを次なるメッセージを発表するようにと発破をかけてきますので(T-T)、ゆるゆるの頭ですが、できる限り正確に解釈してお伝えしたいと思います。

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カーサのトライアングル

「恐れ」とはなにか

今回は「恐れ」とは何かということと、具体的に「恐れ」にどう向き合うのか、ということを少し詳しくお話ししたいと思います。

あなた方は肉体に宿った魂です。自分の五感だけを頼りにこの3次元世界を経験するように自分自身で選択・設定してこの世界にやってきました。この事実は自分の世界で起きる日々の事象をエキサイティングで新鮮味のあるリアリティーとして生きることが出来る反面、先行きを見通すことができないということと表裏の関係にあります。

またあなた方は物理的な肉体の他に複数の「精妙なからだ」を持っています。そのからだはエネルギーボディーとも言われます。複数のからだは肉体に浸透するように重なり合ったものです。それは玉ねぎの皮のように別のものが積み重なっているわけではなく、外側の層が内側の層を含んでいるという意味です。その中の一つで感情の記憶をパターン化して保持しているものがあり、それは「感情体(Emotionalbody)」と呼ばれます。

「恐れ」は一つの感情であり、低い周波数帯域に存在するエネルギーです。そしてあなた方は感情体を通して、そのエネルギーを感じることができます。人は「恐れ」のエネルギーを蓄積すること、共鳴すること、増幅すること、また自ら発電機のように発生させることができます。

そして「恐れ」は身体のすべての表面・表皮のすぐ下に蓄積・発動される特徴を持っています。前回私たちは「恐れ」は分離の感覚であることを述べましたが、自分自身と外界を分けている境目である皮膚の下に恐れのエネルギーがあり、それが強く振動するため、外界とのつながりが断ち切られ、厚い鉄のカーテンが引かれるように感じるのです。

人は強い「恐れ」に直面すると、身体を丸めて手で全体を精一杯包むかのように動作するのはよくご存じのことでしょう。足が震える感覚も一般的です。この感覚に巻き込まれるとどんなに愛する人がそばに居てその人を抱きしめても、また不安を取り除く優しい言葉をかけ続けても、ずっと恐れにさいなまれるということがあります。その状態では合理的で筋の通った明晰な思考のプロセスなどもどこかに吹き飛んでしまうことでしょう。

ただ、大事なことは、あなた方は「恐れ」を悪者のように見ることがありますが、この感情を持つことが良い・悪いということで無く、これが「恐れ」という感情エネルギーの特質であり、あなた方は「恐れ」という感情をもっと正当に扱う必要がある、ということです。

生物学的に人は「今直面している身体の危機」には反応するのは当然で、これが一つの側面です。いまいまの現在にあって、身に迫る危機を理解し、そこからいち早く逃走する、あるいは対処する「サバイバルの必要性」としての恐れです。これを「生物学的な恐れ」と呼びたいと思います。

そしてもう一つの側面は、「エゴに関係する恐れ」でこれをさらに二つの分けて考えてみたいと思います。一つは「蓄積したエネルギーとしての恐れ」、もう一つは恐怖周波数発生装置――「ダイナモとしての恐れ」です。この二つにはエゴの働きが大きく関与しています。

エゴはデータベースのようなもので、過去に起きたことを記憶し、保持しています。潜在意識といっても良いかと思います。それがどんな状況で起きたのかということが記憶としてあり、そしてこの記憶にその過去の時点で解放されなかった「恐れ」のエネルギーが蓄積されたものとして紐付けられているということです。人から大事にされていないという感覚、傷つけられた記憶やトラウマもこれです。これを「感情記憶複合体」と呼びたいと思います。またまだ起きていないことへの恐れ――未来への不安等もこのデータベースから判断されたものです。

ダイナモとしての恐れは、「思考パターンとしての恐れ」です。一つの事象から過去に起きた様々なネガティブな出来事を燃料として燃やし、恐れの感覚を増幅していく装置です。

あなた方の周囲に巻き起こる様々なことは、「気構え」によって見え方が違っていることに気づいて欲しいと思っています。「気構え」というのは物事に対処する心の準備や態度のことです。

自分の心のあり方は外界で起こることによって決められる、自分の心が平穏であるためには外界が平穏でなければならない、というのはただの思い込みにすぎません。

自分の周りで起こっていることが不穏なことばかりなので自分の中が不安定で心配に充ちた状態になるのだ、私をおびえさせる事象があるので私はいつも恐れ、不安で心の平和を保てないのだ、と考えるのはその人独自の思考のクセにすぎません。

人は同じ事象に出会っても何事もなかったかのように平然としていられる人とパニックになってしまう人、そしてその二つの反応の極端から極端のあいだにグラデーションのように人がいてそれぞれの反応を示すということがあります。つまり、起きる事象のすべては基本的にニュートラルであって、あらかじめ決まった意味などはない、ということをお伝えしたいと思います。もちろん、現在進行形のこの新型コロナウィルス騒動も同様です。

Ⅲに続きます。