朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(9)最終回

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(9)最終回

再会

それから山下さんからはたびたびメールを頂きました。質問内容は帰国後の過ごし方のこと、ハーブの飲み方や注意点といったことで、とても慎重にカーザのプロトコルを守ることで自分の体をケアされていることが判りました。

そして今年(2016年)の1月に一度電話でお話をしたのですが、仕事の関係でいま山形に滞在している、そして仕事は3月末で終わるとのことで、4月の頭に私の地元福島で会う約束をしました。

福島駅の駐車場で待ち合わせをして、行きつけのおそば屋さんで話をしました。

最初から笑顔だったような気がします。なにか9月のときとは別人のようです。

以下、そのときの話をまとめてみました。

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昨年9月のツアーのことですが、ジョアンさんのところに行くだけ行って治らなかったら治らなかったで構わない、と思っていました。

「つらさ」から死ぬことを考えたことは?という質問に対しては、
――「死にたい」だけはなかったです。死んだほうが楽は楽だったと思います。でもなぜか生き抜かないといけない、という気持ちがありました。このことは自分にとって試練に思えました。この世に生まれたのは修行のようなものと考えています。神様に与えられた試練だと思って乗り切ろうと思いました。

それは死についての恐れからではなかったです。むしろ死ぬことは楽しみというか、我々はただ身体を借りているだけと思っていますので。

そして出来るところまでやって死んだら死んだでしょうがない、それで死んだら寿命だと考えることにしました。

最初、身体は動かなくなっていきました。
身体は少し動くと息が切れてしまうし、考えることもままならないので本当に大変でした。こんな状態で出来る仕事も限られていましたので、仕事は選べませんでしたが、なんとか、のらりくらり、かわしていました。人からは、ぐうたらだ、もっとてきぱき動けと厳しいことを言われたりしました。自分では一生懸命、動いているつもりでも動けていなかったのでしょうね。だいたい手術前、全盛期の10分の1くらいの運動量に下がっていたような気がします。

でも一生懸命、つよがって、というか、自分を奮い立たせていたように思います。そして「為になる言葉」を集めていきました。中村天風(なかむら てんぷう)さんの本とかも読みました。

※「中村天風」について簡単に説明しますと、日本の思想家・実業家で、日本初のヨーガ行者と言われています。幼い頃から随変流(ずいへんりゅう)という剣術と抜刀に慣れ親しみ、学生時代は「玄洋社の豹」と異名を取るくらい柔術を極めました。戦後、30歳くらいの時、急速に進む結核を患い、日本国内では北里柴三郎に診て貰っていますが芳しくなく、病状が悪化する中、治癒の希望をもとめて海外へ密航します。アメリカ・ヨーロッパでも著名な治療家に診てもらうのですが、それもおぼつかなく、失意のうちに帰国の途につきます。そして途中、ヨーガの行者と不思議な出会いをします。そのままインドで2年半の修行をし、結核が治癒します。加えて悟りを開くに至ります。山下さんの心に響いたのはおそらくこの部分だと思います。

 

カーザにいる間はツアーメンバーの中に入っていくことはしませんでした。大勢の場所で迷惑になるのではないかと思ってましたので。これまでの経験から、他の人が自分のことをどう扱っていいのか判らなくなる、ということがあるので遠慮していました。

それからカーザにいるあいだはずっと弱音を吐きたくなくて、人と話をしなかったということもあります。口を開くとそういう言葉になってしまいますので。帰ってきた今なら、その弱音も言えます。

一番変わったのは人との関係が良くなったことでしょうか。笑えるようになって、顔が強ばっていたのも次第に弱まっていきました。

もちろん「祝福された水」はずっと飲んでいます。よく眠れるようになりました。以前の眠りが戻ってきたように思います。この水のおかげのような気がしています。

体力も付いて、あまり疲れなくなりました。これまでと仕事の仕方も違ってきています。今度、新しい資格に挑戦しようと勉強しているところです。

それから私は朝、結跏趺坐(けっかふざ)で座禅するのですが、以前は全くバランスが取れなかったのですが、それがぴたっときまるというか、きれいに組めて、がたつくことがなくなりました。これには驚いています。

鼻の呼吸はいまはあまり変わっていません。これも徐々に治っていったら良いな、と思っています。

へその手術のことですが、見た目のことだけでメスを入れるような場所ではないでしょう。自然ままが一番のような気がします。

カーザで貰ってきたハーブは3月末でちょうど無くなりました。長いこと辛いものやアルコールがだめだったので、これから少し欲求不満を晴らしたいと思ってます。でもまた5月には写真提出をして、ハーブを続けることでカーザのエネルギーとの繋がりは持ち続けたいと思っています。

カーザにはまた行きたいと思っています。あと1、2回は行かなければならないような気がしています。

最近、温泉に目覚めたんですよ。ほんと楽しいですね。温泉があんなに良いものだとは、思いませんでした。

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店内のほの暗い灯りの中で、あらためて山下さんのチャクラを拝見することができました。

体の中にめり込んでいるように視えた黒いチャクラが開いています。いまはまだ小さなチャクラですが体表より前に出て、均等な大きさで動いています。透明感が出て、チャクラ固有の色をわずかに帯び始めました。

優しい色の花々――。

孤独と塗炭の苦しみの末に咲いた一分咲きの朝顔です。

人と人をつなぐ花です。

いつか満開になるその日まで、エンティティーという名の花守りはきっと見守り続けてくれることでしょう。


朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(了)



スープボランティアに参加し、人参をむく山下さん


朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(8)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(8)

村を去る日

山下さん以外のメンバー全員が村を去る日がやってきました。

我々の泊まっていたポウザアダはジョアンさんがニューヨークセッションで村にいない時期にあわせて、大掃除と模様替えのため一週間閉鎖されることになっていました。それで山下さんはカーザ近くの一軒家(シェアハウス)にその間、滞在することになります。

出発は慌ただしくなりました。

というのもツアーメンバーの一人の方が最後の昼食時に喉に肉を詰まらせるという事件が起きたからです。詳細はこの記事の趣旨に沿わないので省きますが、ポウザアダからの出発時刻が午後2時で、その前に最後の滝に行ったり(アルメイダ医師への最後のお願いと滞在中のお礼を伝える意味です)、他のポウザアダに泊まっている日系の方にあいさつしたりで時間が押していました。

昼食が1時にくらいになって、出発の準備もあって、と慌ただしく食事をしていたときに、起きた事件でした。

その方は塊の牛肉を大きなまま飲み込んでしまったようで、それは食道に詰まり、息は出来るのですがツバも飲み込めないような状態になってしまいました。その時点では喉が苦しいというだけでまだ大丈夫ですが、何も飲み込めないということは放っておくと脱水症状になります。帰りの30時間ものフライトで何かあったら大変です。帰りの観光用に用意したバンでそのままブラジリアの病院に行くことになりました。ブラジリアの病院では、有名な病院にも関わらず、ブラジル人の気質からか、うまく回っておらず、必要の無い検査があったり、担当できる医師が見つからなくて他の病院へとたらい回しに合ったりするのですが、それはまた別の話です。

というわけで山下さんとはろくにお別れのあいさつもしなかったように思います。

通信

日本に戻ってからはメールとSkypeを使って、その後の様子をお伺いしました。

山下さんは外国語が苦手なので、移った先ではiPhoneのアプリとメモでなんとかしのいでいたようです。そこの家にはかわいい猫が二匹いるそうで「猫とじゃれ合っています」という微笑ましいメールも戻ってきていました。

ジョアンさんがカーザに戻ってからのこと、目に見えない手術は二回受けることになりました。当初の予定では肉体の手術を希望されていたのですが、それはやめることにした、と後に伺いました。

そして10月の中旬、山下さんは無事、日本に戻ってきました。

以下は山下さんからの帰国を告げるメールです。

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森さん 山下です。さっき6時半頃 大阪 着きました。いやぁー ブラジリア出るとき 朝早く 起こしちゃって 申し訳なかったですね。なんとか かえってこれました。森さんに ありがとう ありがとうと なんべんいったかわからんけど ほんまに ありがとうございました。

(原文のまま――名前だけ仮名に変更)

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(9)最終回へつづく

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(7)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(7)

滞在中のこと

山下さんは滞在中の前半、ジョアンさんと会うことができないので、私は最初はカレントルームでのワークが望ましいと判断し、それを奨めました。

この時期、ジョアンさんの不在を穴埋めするかのようにエンティティーが頑張り、カレントルームのエネルギーが強くなっていたのは確かなので、体の弱っている山下さんがエネルギー当たりを起こさないか、1回目のカレントだけは心配していました。しかし、大丈夫なようでしたので、それからもカレントを中心にやっていく方針としました。

山下さんはカレントルーム、祝福された滝、ラインのセッション、自発的な手術とカーザのワークを黙々とこなしていきました。スープボランティアにも参加されました。

食事の時はツアーメンバー用に用意された大きな長テーブルとは別のテーブルに一人で座り、大きなお皿にたくさんの食べ物をのせてきて、一心不乱に口に運び、終わると、さっさと自分の部屋に帰っていきます。

他のツアーメンバーと話すこともほとんどありません。他のメンバーもあまり話をしたがりませんでした。

山下さんはやはり村に来てからずっと眠いようで、寝てばかりいました。

私自身はなかなか動き出さない山下さんのチャクラをときどき拝見しては、どうしたものか、と思っていたように思います。もちろん、エンティティーのやることには間違いがないので、信じてはいました。

不思議な出来事

そんな中、山下さんと滝にご一緒したとき、1つだけ不思議な出来事がありました。

そのときはツアーメンバー三人で滝に行きました。山下さんと私、もう一人は現代医療の医師で、大きな病院の院長をやっておられる方です(仮に「桐谷さん」と呼びます)。滝まではみんなで歩くことになりました。滝に行くときの心構えですが、行きも帰りも無言で、「行き」は自分の意図に集中し、「帰り」はすべてを手放す気持ちで歩きます。やはり「行(ぎょう)」のようなものと考えると良いかも知れません。

滝への門をくぐると道は舗装されていない赤土で、かどの残ったゴロゴロした石も結構落ちていて、決して歩きやすくはありません。滝は標高としてカーザから2、300メートルほど下にあるので、降りていく感覚ですが、道はゆるやかな上り下りを繰り返します。滝の水は結構冷たいので行くのは午後からにしたのですが、この地域は昼前くらいから急に気温があがります。

歩くとすぐに汗が出てきました。アバジャーニアの陽射しは強く透明で体の中まで刺し照らすような気がします。たまにカーザのタクシーが赤土特有の細かい砂を煙幕のように巻き上げながら、我々を追い越していきます。道の両側は油絵の具で描いたような南米の生々しい緑でいっぱいです。カシューナッツの赤い実の実物を初めて見て関心したのも、この道でのことです。ときどき左側の視界が開け、緑のビロードのような、起伏の穏やかな丘陵が姿を現します。自分の意図に集中しているはずが、美しくてしばしば目を奪われてしまいます。

お二人が並んで先に歩いています。

山下さんのオーラは最初に拝見したときより少しだけ大きく、そしてクリアーになっているのが判ってうれしくなりました。アバジャーニアの樹木が映り込んだかのような緑色のきれいなオーラでした。緑色のオーラを持つ人は一般に自然や人との調和を第一とするおだやかな性格の方が多いと言われます。友人たち、家族・親族等と親密な関係性があることが人生の満足度となるといっても過言ではありません。また、緑色の人は、人と話をするのが好きでそれが御自身の癒やしにもなります。そういう意味でもへその手術以来、山下さんに起こったことを想像すると本当に気の毒に思えてなりませんでした。

桐谷さんはお医者さんらしい、知性を表す青で、緑と青のオーラが並んでゆらゆらとしている様をずっと見ていたような気がします。

―――――…

20分ほど歩くと、視界が開けて、そこは広場になっています。端の方には屋根付きのベンチがあり、タクシーできた人はここで約束した帰りのタクシーを待ったりします。そして改めて滝への入り口があり、そこから入ってまたロープを両脇に張った狭い急な坂を降りていくとコンクリートブロックで出来た順番まちの場所があります。

ここにはかんぬきの付いたゲートがあり、いったんはここで待たなければなりません。男性と女性はエンティティーに特別に許可された人たち以外は一緒に入っていくことが出来ないので、男性と女性は交互にまとまって入っていきます。滝はゲートを入ってさらに坂を降りていった先にあります。

順番待ちの人たちがけっこういたように思います。

無言で我々の番が来るのを待ちました。30分ほど待って、いままで滝にいた女性たちが一人二人と戻ってきました。女性全員が戻ってきたのを確認するまでは絶対に入れません。やっと男性のグループが入る順番がやってきたので他の外国人たちと一緒に坂を下りて、まず道端にあるベンチで着替えました。山下さんと桐谷さんは先に滝に降りていきました。私は色々とパワーストーンをポケットに入れていて、それを取り出したりしているうちに着替えが遅くなりました。

そして滝に降りていき、列の最後尾に付きました。男性グループは滝を順番に浴びて、来た坂をまた登って戻っていきます。考えてみれば、一番最後なのですこしゆっくり滝を浴びようと思い、このときは水柱を長く頭頂部に受けていました。

今回のカーザはカレントのエネルギーもすごいですが、滝のエネルギーも強烈でした。肌にぶつかる滝の水は「水ではないなにか」でした。水しぶきが蜃気楼のようにぼやけてみえました。すると現実感が無くなってくるのがわかりました。これが続くと自分がどこにいるのかわからなくなることがあるので、適当に切り上げて戻りました。

着替えの場所にはもうだれもいませんでした。二人はたぶん、コンクリートブロックのところで待っていてくれているのでしょう――急いで服を着てもどりましたが、外国人が何人かいるだけで二人は居ませんでした。ここにいないということは、上の広場のベンチで待っているのかもしれません。上がってみましたが、そこにもだれもいませんでした。遅かったのでどうやら痺れを切らして置いて行かれてしまったようです。

―――――…

一人でもと来た道をもどりました。置いて行かれたのはちょっとだけショックでしたが、ここで起こることはすべて必然です。ぼーっとして歩きました。そのままポウザアダに戻ると自分の部屋で仕事をしていました。

30分位経ったでしょうか。大きなノックの音がしました。ドアを開けると山下さんでした。外に出ると桐谷さんの姿もみえます。

「森さん どうしたんですか!! なんでここにいるんですか!!」と山下さん。

「なんでって――皆さん、もういなかったので、帰ってきたんですけど」

「おれら 森さんのこと 待ってたんですよ」

「ええ~?」

山下さんたちは上の広場のベンチで私があがってくるのを待っていた、とのこと。そしてなかなか上がってこないので、もう一度コンクリートブロックのところに行って探したとのこと。私が滝でどうにかなったかも知れないと思い、滝から戻ってくる外国人の様子も見ていたとのこと。

私はコンクリートブロックのところも広場のベンチもよく見ました。どこも見通しの良い場所で、人が居たらすぐに判りますし、滝の道は一本道で、姿を見ずにすれ違うことはできません。ただ、私はその間、変性意識の状態だったことは確かです。それにしても相手も探していたわけですから、見落とすことはないように思います。

このことはいまだによく理解できません。

(8)へつづく

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(6)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(6)

チャクラとは――エネルギーの搬入口として

チャクラとは何なのか――チャクラの働きを説明するということは人間活動の総体を説明することと言っても過言ではなく、その全体像を十全に説明するには紙幅がたりませんが、山下さんのそのときの状態を理解して頂くために、大まかなポイントだけを押さえるとするならば、まず、人の体とは物理的な体だけを指すのではない、ということが大前提になります。オーラと言われるエネルギーフィールドが人の周りにはあり、これが物理的な肉体を育てる母体・鋳型(マトリックス)のようなものです。そしてこのエネルギーフィールドのほうが肉体よりも先に存在します。

そしてチャクラはこのエネルギーフィールドから肉体へとエネルギーを取り入れているエネルギーの搬入口ようなものです。チャクラは回転しているといいましたが、回転してエネルギーを渦巻きのように体へ取り入れられています。竜巻の逆の動きをイメージしていただければと思います。チャクラが漏斗(じょうご)のような形をしているのはそのためです。

大きなチャクラは七つあり、それぞれが肉体の器官・臓器と対応しています。例えば第二チャクラの管轄しているのは生殖器、膀胱、精巣、卵巣。第三チャクラであれば胃・肝臓・腎臓といったぐあいです。

チャクラによって人とつながる

そしてもう一つ大きな機能として「人とつながる」ということがあります。視ることに長けたエネルギーワーカーの目には人から人へとチャクラ同士がつながるエネルギーコードがあることがわかります。それは双方向のエネルギーの流れで、エネルギーを送り出したり、受け取ったりということをやっています。ちょうど半透明で柔らかいイソギンチャクの触手のようなもので、それが伸びてきてチャクラからチャクラへとつながります。これは健康な人間同士の間では普通のことです。物理的な距離が離れれば切れるというものではありません。

もちろん、当事者同士の関係性によってつながるチャクラの場所や意味も違ってきます。一時的につながることもありますし、心の絆と呼ばれるような永続的で深いつながりを形成することもあります。親子特有のコードもあります。

やはり一番つながったり、切れたりを繰り返すのは第三チャクラ(胃)で、一般に「関係性のチャクラ」と呼ばれますが、通常の人間関係において相手と自分という組み合わせを思いやり、気遣うことに関係しています。そしてこれがうまく機能していないと胃に障害がでることは、我々もよく経験することです。性的な関係は第二チャクラ(仙骨のあたり)でコードがつながりますし、第四チャクラ(ハート)は愛すること、様々な形の愛情(親子、パートナー、家族、動物等)によってつながります。

それぞれはその親しさや関係の深さの度合いによって、繋がったり、切れたり、あるいは無理矢理引きちぎられることもあります。

チャクラが閉じるということの意味

そしてチャクラが閉じていったということの意味は、閉じたその時点から人と繋がれないという事の他に、これまでの関係性が消えていくということでもあります。

信じられるかどうか解りませんが、おそらく山下さんのご両親は自分の息子がなぜか自分の子供でないような感覚が出てきて、一馬さんをどう扱っていいのかわからなくなったでしょうし、ご兄弟もなぜかいままで通り接することが出来なくなったことと思います。

それまでの友人たちもなぜか彼が見知らぬ他人のように思えてきて、一馬さんと疎遠になっていったことは容易に想像できます。過去の記憶はあっても、前のような親密な感情(会って、顔を見て、話がしたい、というような)を抱けなくなったことと推量します。「心が通う」ことがなくなった、と言い換えてもよいと思います。「思い思われる」というごく当たり前の関係が、消滅してしまうということは、その人が死んで目の前からいなくなることよりも恐ろしいことのように私には思えます。

眠りとは

眠りのこともチャクラが閉じてしまったことが判ったいま、私には容易に想像できました。スピリチュアルな観点から人は眠るとき段階的に眠りに入ります。眠りの最初はアストラルレベルに入るわけですが、これはハートチャクラの次元になり、ここにはメンタル体とエモーショナル体があるといわれています。この中も階層があるといわれておりますが、長くなりますので割愛します。

そして眠るとは他の体のレベルでエネルギーのチャージを受けるということです。「眠り」における多次元への移行は順番に行われ、最初はアストラルレベルです。当然、最初のハートチャクラが閉じてしまうということはアストラルレベルはもちろん、その他のすべてのレベルへの入り口も閉ざされたしまうということです。そして肉体のレベルでだけで生きることを強いられるということです。それ故、寝ても肉体は休めていることになるのでしょうが、いままで知っていた眠りと違っていると感じるのは当然のことのように思います。つまり「寝ても眠りが拡がっていかない」とは寝ている間に肉体を離れることができない、他の体で享受できる恩恵をまったく受けることができない、ということでしょう。

違和感について

9月のツアーメンバーの一人にとても霊感の強い女性がいたのですが、山下さんが到着したその日、その人は私に「山下さんのそばに、わたし、どうしても近づくことが出来ないんです。なぜかは判らないんですが、怖いんです」と、こっそり告げてきました。私は反射的に、 良いかたですよ、話をしてみれば判りますよ、というようなことを言ったように思うのですが、その人に対しても自分の心に対しても、わざと論点をずらして話しているような、あざといことをしているような気分になっていました。

いま思えば、私自身も山下さんと初めて電話で話したときの底知れぬ違和感は説明が難しいように思います。私は先に音響変換された音声と表現したのですが、その声を――「人ではない人」と話しているような、背筋を冷たい指でなぞられているような感覚を、必死で携帯電話の電波状態のせいと思い込もうとしていたことを思い出しました。

周りに人が居ても人が居ない状態――人が自分に近づいてこないということ、そしてそこに手を伸ばせば人は居るのに、声を掛けても人は決して振り向かないということ、そして眠りのレベルでも肉体から抜け出すことはできないということ――それは孤独な牢獄でしょうし、生き地獄でもあるでしょう。

ただ、救いはありました。愛の周波数をのせてメインホールに響く主の祈りは、さっき私が見たもう一つの場面を思い起こさせていました。

山下さんのチャクラは、そのほとんどが閉じていました。しかし、視線を上にあげると頭頂部にはクラウンチャクラが大きくはないけれども、開いて、わずかに動いているのを視ることができたのを思い出しました。 クラウンチャクラは創造性や直感を司り、目に見えない世界や神とのつながりを感じ取ることを可能とするものです。

それが山下さんをここカーザに導いたのだ、と私は思い、エンティティーへの感謝の念が沸き上がってきたのを覚えています。山下さんはもう「ここ」にいます――そう思ったとたんにまた涙がでてきました。

うす暗い部屋にぼんやりと浮かぶ山下さんの小さなクラウンチャクラは、泥の沼に咲いた一輪の朝顔のようでした。

(7)へつづく

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(5)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(5)

お部屋にて

山下さんはポウザアダに着いてから、お疲れなのか寝てばかりいました。食事時刻になっても現れないことがたびたびで、私が起こしに行くような状況でした(夕食も昼食も1時間しかないので、それを逃すと食べ損なうからです)。

次の日、山下さんのお部屋に行って、そこでお話しする機会がありました。山下さんは私たちが村を離れる日よりさらに二週間長く滞在する予定(最初からその予定でした)なので、その打ち合わせのためです。

その日は水曜日でセッションはもう始まっていましたので、夕食前、夕方くらいだったと思います。山下さんはやはりお休みなっていました。夕飯も近いので申し訳ないですが、起きて貰って話をすることにしました。

カーテンで陽射しを遮り、部屋は薄暗かったように思います。私は時差ぼけが治りかけていた頃でしょうか、ちょうど暑い外から涼しい部屋に入って眠くなったこともあり、山下さんと面と向かってお話ししているうちに、変性意識の状態になっていました。エネルギーの強いアバジャーニア村ではよくあることです。すると山下さんの体の前面に「なにか」が見えてきました。

前面とはいうものの、肉体の内側に視えました。荒縄の堅い結び目のようなものが喉のあたりにひとつ。次に胸のあたりにもうひとつ。さらにその下にも――。体の中央に縦に列んでいるように視えます。黒い塊で動いていません。これはチャクラなのでしょうか――動揺しました。

チャクラは通常、健康な人であれば、体の前面と背面に、円錐の漏斗(じょうご)のように突出して開いています。そして人によって速度はまちまちですが時計回りに回転しています。しかし、いま目の前にあるのは、たどんのように黒ずんでしぼんでおり、回転はしていません。私はいままでこうした状態の人に会ったことがありません。例えば当人に何か心に傷を負うような事件があって、自ら閉じているハートのチャクラは見たことがあります。それは閉じているとは言え、自ら閉じたことが判るので自然に見えます。これはそれとは違って、バーナーの火であぶられたプラスチックのような感じです。

そしてその見た目以上になにかが違っている、という感覚――裏焼きした写真を見せられているような違和感を感じました。

その後は心がひどくぐらついて、会話に集中できませんでした。

祈りの会

夕食も終わり、夕方7時からカーザのメインホールで行われる「祈りの会」に、私は一人で参加したのを憶えています。ポルトガル語のカーザの祈りの会は毎日行われ、誰でも参加できます。

その日はあまり人はいませんでしたが、後ろの方の席に座りました。

山下さんの部屋で視たもののことが頭から離れません。

ポルトガル語の「主の祈り」が唱えられはじめました。年配の女性が一人で唱える主の祈りはいままで聞いたことがない独特の節回しで、リズミカルに聞こえました。心を静めたく、そのハスキーな声に委ねようと思いました。その主の祈りは寄せ返す波の音を声にしたかのように心地よく、目を閉じてその声に包まれていると、やがて山下さんとこれまで話してきたことすべてが自分の中で繋がっていきました。

山下さんが「ひとり狭い牢獄に閉じ込められている」というイメージが浮かびました。なぜか涙が流れていました。

私は「へその手術」が実際にどのように行われたのかは分かりません。二回の手術が山下さんの肉体をその時点でどのように変えたのかを知る術がありません。しかし、その手術が山下さんの「他の次元の体」に働きかけたことは確かだと思いました。そして時間を掛けて山下さんのチャクラを「結果として閉じていった」ことを確信しました。

山下さんはのちに語りました――「こうなって一番辛かったことは、体のことではなく、人との関係が築けなくなったことです。なにをするにしても、『人とのきっかけ』が無くなってしまったように感じました」

(6)へつづく

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(4)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(4)

視えないチャクラ

そして山下さんに初めてお目に掛かったのは、アバジャーニア村のポウザアダ(宿)においてでした。ツアーの予定は二週間と三週間だったので、山下さんを含めツアーメンバーのうち3人だけは一週遅れで参加することになっていました。そしてなぜか航空会社の都合で予定の便が飛ばなくなり、到着は一日遅れの火曜日午前中となりました。

カーザ専属タクシーから降りてきた、現在45歳の山下さんは背が高く、体の大きな人でした。髪をすべて剃った坊主頭、いかつい感じ、笑顔のように見えましたが、なにか強ばっているような表情で若干怖い印象がありました。

荷物を各々の部屋にいったん置いてもらうと、私もタクシーに乗り込み、全員でカーザまで行きました。ちょうどジョアンさんが入院した時期だったのでそのことをタクシーの中で説明しました。カーザに着いて、一通り案内したあと、祝福された水を買ってポウザアダに戻りました。

皆さんお疲れだったので、昼食まではお部屋で休んでもらうことに。

やがて昼どきとなり、ツアーメンバー全員が食堂に集まってきました。

アバジャーニアに滞在している間は食事も大切な要素です。なぜなら、日本と同じカロリー量の食事をしていると次第に痩せていくからです。これはおそらくカーザ・アバジャーニア村の周波数に我々の肉体が馴染んでいくプロセスでエネルギーをたくさん消費するためだと私は考えています。

以前お連れした方で日本にいたら甘い物など決して召し上がらない方がツアー日程の最後のほうには、ものすごく甘いチョコレートケーキを「身体が欲しているので食べます」といってけっこうな量を召し上がっておられました。ですので「ダイエットになってうれしい」などといわずに、ぜひ、アバジャーニアにいる間は食べることもヒーリングだと思って、食べたいものを食べたいだけ摂られることをお奨めします。

当然、ポウザアダ選びでは毎日美味しく食事ができることがとても重要です。私は日本人の口に合う食事(しょっぱくないこと、油っぽくないこと、魚あり・肉少なめ)を出してくれるところをいつも選ぶようにしています。今回泊まったポウザアダも一手間掛けた野菜料理を中心としたブラジル料理で、バイキング形式になっています。

山下さんはブラジル料理にも、この形式にもまだ慣れておられない様子で、味見のようにお皿に少しだけ持ってきて召し上がっています。

私は遠くから少しだけ意識をずらして、イスに座った山下さんのオーラとチャクラを拝見させていただきました。

――チャクラが視えない――そう思えました。

こうしたことはたまにあります。気持ちが焦っていたり、なにか感情が揺れるようなことがあると、視えなくなります。「いま・ここ」という感覚と、そこにいる対象だけではない「生きとし生けるものすべてに対する愛」の感覚が強く出てこないと視えません。

でもいまはそんな感じではなかったので不思議に思いました。

山下さんの「オーラ」は視えていました。ただ、それも体表にまとわりつくような、厚みのない感じで、色もはっきりしません。

ジロジロ見て失礼にならないように、頃合いをみてもういちど拝見しました――視えません。けげんに思い、他の人を見ると、他の人のチャクラは視えました。なぜか山下さんのだけが視えないのです。

このときはこれで終わりました。

(5)へつづく

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(3)

朝顔の咲きそめる夏――山下さんのこと。(3)

手の届かないかゆみ

病院で脳のMRIを撮ってもらいましたが「脳には何の問題もない」ということでした。もちろん問題は現実にありますが、器質的な観点から病変を見つけることはできない、ということでしょう。

こうした話はこれまでの何回かの電話相談等のお話しの中で出てきたものですが色々聞いてもなお、私自身それを素直に全部受け入れられるかというと、そうではありませんでした。身体の変調が現れるくだりは、起こっていることの不気味さも伴って四谷怪談でも聞いているような気にさえなってきます。もちろん、山下さんが嘘を言っているとは思っていません。とつとつとした話し方ではありましたが、自分の言葉で何が起こったのか語る口調は経験した人にしかわからないリアリティーがありました。

私がそういうことを知らない、というだけかも知れないので、自分でも調べてみました。しかし、美容外科のサイトでへその手術(へそヘルニア、その他どのようなタイプのへその手術でも)のリスクに言及しているところはありません。もちろん、美容外科がわざわざリスクを書くとも思えませんので、私自身が医療関係者に当たってみても、手術に係る一般的な感染症や傷跡が目立つ・思った形にならない等はありますが、やはり山下さんの症状に該当するような事例は見つけられませんでした。腹部のたるみ除去で「へそを失い」、美容外科を訴えた女性の事例は見つけましたが、それは見た目が問題で訴訟になったというだけでした。

もちろん、中国医学では、へそは生命の源とされ、また経絡(けいらく)では神闕穴(しんけつけつ)と呼ばれる重要なツボです。へそへの刺激は末梢神経への刺激となり、神経が活動状態に入るとされます。またツボの効果としては体液の調整、免疫機能を促進すると言われております。では逆の言い方をすれば、へそに問題が起これば、生命の本源が揺るがされる、ということになるのでしょうか。

しかし、それにしても、私が聞いたものはあまりに極端な症状のように思えました。もし腹膜の糸が切れたことが原因だとしても、それから「左脳が回転した」という感覚とそれに伴う呼吸・睡眠等の症状がでるまでは5年もかかっています。そもそもこれらの症状とへその手術は因果関係があるのか、別の病気の症状を取り違えているのでは、という根本的な疑問が私の中に沸き上がってきました。このことを山下さんに尋ねることは互いの困惑を深めるだけのように思えました。

そしてしばらくこのことは手の届かない場所に湧くかゆみのように私の中にずっと留まり続けることになるのでした。

(4)へつづく